劇団福耳ー戦いの軌跡

劇団福耳の歴史








☆公演に来た人も来てない人も、1分で分かる劇団福耳講座

ある大学のサークルでは、魔女裁判が何度も行なわれていた。
そこで魔女狩りにあっていた【三谷滋】。
「俺は俺がやりたい芝居をやる」
と言って泣きながら飛び出し、劇団福耳を一人で立ち上げる。第一回は池袋小劇場でまずまずの成功を収めるが、第二回の王子小劇場では、最低動員数9人という黒歴史を作ることになる。その後、色んな場所で公演をするが、動員数が伸びなかったり、スタッフに売上金を盗まれながらも孤軍奮闘する。だが、小泉の格差社会政策により、ついに底辺に叩きつけられ存続の危機にいたる。
が、しかし。
当時ライブハウスLAN赤坂をマネージメントしていた株式会社エクスプロージョンよりお声がかかり、泣きの一回のイベントに出させてもらう。
そこから息を吹き返し、童貞の初期衝動・爆発ダンスで喝采を浴びる。その実績が再び目に止まり、渋谷O-EAST(収容観客数1000人)のイベントに誘われ見事にトリを飾る。
そして、新生・福耳に生まれ変わったサード・シーズンの幕開けは二本立て公演という新たな試みに挑む。
そんなわけでこれからの劇団福耳をチェックスせよ!!

11月4日更新 by.tt

2003年
3月
三谷が「劇団福耳」を一人で設立。
旗揚げ公演『相対的世界』を池袋小劇場で上演。
三谷は大学を卒業し、劇団福耳を本格的に始動。
9月
第二回公演は、早くも王子小劇場で上演。

2004年~05年 
定期的に、毎回出演者を入れ替え、小劇場で活動を行う。
現在定期的に出演している玉山も、第四回公演から初参加。

2006年
7月
ライブハウス赤坂L@Nにて、30分劇で初登場。
この時の脚本は、三谷と玉山の初の共作。
そこで、インディーズバンド「ゆげ」と出会う。

9月
ゆげ企画のバンドイベントに、唯一劇団で参加し好評を得る。それから毎月ゆげとは同じ舞台を踏む。

12月23日
劇団福耳とゆげの合同企画第一弾「ゆげと福耳のクリスマスキラーズ」を開催する。
最初に演劇、次にバンド、最後にはゆげの生演奏で劇団福耳が踊ると言う前代未聞の同時コラボレーションを実現する。

2007年
3月
ライブハウスでの初本公演「ゆるさん!このデブ!!」を上演。
5月
初の全国のツアーが始まる。
6月
ゆげの地元静岡のライブに、オープニングアクトとして登場。
好評のうちに東京と静岡の全国ツアー終了。
10月
「エロス殺し!!」上演。
12月
劇団福耳とゆげの合同企画第二弾「ゆげと福耳のクリスマスキラーズ」を開催する。
マキシマムザホルモンのコピーバンド、「福ゆげ」をゆげと福耳のメンバーで結成。

2008年
1月14日 王子小劇場の新年会の余興にて。「圧縮ホルモン焼き」を上演。劇団関係者100%の中で公演する。
1月27日 エコ企画に唯一の劇団で出演。動画をチェックス!
2月、3月 赤坂MOVEのイベント出演。

5月30日 福耳プレゼンツ・フェス 赤坂炎上

現在、毎月赤坂MOVEにて活動中。

fqumimi_000000.jpg第一回「相対的世界」
00047.jpg初の赤坂「ガラスのおめん」
fh3.jpg
fh1b-1.jpg第9回「エロス殺し!!」
cap0003.bmpクリスマスキラーズ 「ダイエットジャンキー」

題一回 三谷10.jpg
部活の後輩を巻き込んだ旗揚げ公演。
アインシュタインの相対性理論のオマージュ的作品。

第二回fuque_000002.jpg
旗揚げの役者が一人も出なく、新メンバーで挑む三人芝居。
脚本が二日前に完成したのは、あまりにも有名。
公演が終わった帰り道、舞台で使ったごみを放棄して王子小劇場からクレームがくる。

題七回0033.jpg
日本刀や甲冑、ふんどしなど日本のよき伝統を伝える話かと思わせて、銀杏BOYZからアイアンメイデンまで登場する結果に。

第八回0041.jpg
ライブハウスで爆音かけてのダンスは見るものを圧巻させた。